治療家のつぶやき23


目次


「難経」75難中に有る下に記載した「不」の文字が衍文か否かを再考する。

火を瀉し水を補う。金をして木を平ぐることを不得と欲す也。」
「75難」には、以下の記述あります。
「木実せんと欲すれば、金当に之を平ぐべし。」
これは肝が実しようとした時に、相克関係からこれを抑えようとして肺が立ち上がります。
しかし、肺の力が弱く、肝を抑えることが出来ないので、肝実肺虚と言う病になります。
この治療法として69難型、75難型そして77難型の3種類が有ります。

81の難中には、肝実肺虚の証に対して以下のように肺が肝を平らげると、記載されています。
「肝実して肺虚す。肝は木也。肺は金也。金木当に更相平ぐべし。当に金の木を平ぐることを知るべし。」
この治療は「69難」の法則から肺の母である脾を補えば、肺が実し相剋的に肝を抑えることが
できます。つまり、肺である金が肝である木を平らげることができるのです。

一方、75難は、以下のように述べています。
「瀉火し補水う。金をして木を平ぐることを不得しめんと欲す也。」
(約:金を補っても肝を平らげることは出来ないので、心を瀉し、腎を補え)と述べています。

この二つの治療法の違いは、「不」の一文が有るか否かです。
滑伯仁(かつはくじん)は、肝実肺虚と言う同じ証で治療法が異なるのは間違いと判断したのでしょうか、「不」の字を衍文と断定しました。
そして1366年に出版した「難経」の解説書である「難経本義」の中でそれを唱えました。
つまり、彼は、「不」の字を除き、「火を瀉し水を補えば、金が木を平げ得るなり。」と、
解釈すべきであると、説いたのです。
これが、「不」の字を衍文とするか否かの論争の切っ掛けとなり、現在に至っています。しかし、
現在は衍文とする解説書がほとんどです。

75難の症状に対する治療法は、69難の治療法では解消できない為に発案されたものです。
肺が肝を平らげるなら、心を瀉し、 腎を補うと言う治療は必要ではありません。肺を補えば良いのです。

「」不「の字を衍文と主張する人は、この肝実肺虚は特殊な症状だから、心を瀉し腎を補う必要があるのだ。」と、反論するかもしれません。
ではどのようにして69難型と75難型との違いを見分けるのでしょうか。

 本間祥白氏はその著書「難経の研究」の中で金虚木実 75難型の六部定位の脈を以下のように
述べています。 
「両寸口の脈を比較するに、左寸心火の脈は右寸金肺の脈より実。両関上では左関肝木の脈は
右関脾土の脈より実。腎水の脈虚。」

この脈診では右寸金肺の脈が虚か平か不明です。又右関脾土の脈も虚か平か不明です。従って
証をたてるのは不可能です。
上述した文を書き改めると下のようになります。
左寸心火の脈は右寸肺金の脈より実。:心実、肺(虚あるいは平)。
左関肝木の脈は右関脾土の脈より実。:肝実、脾(虚あるいは平)。
腎水の脈は虚:腎虚。

仮に、上の文の平脈を虚と考えると、証は肝実肺虚になります。
しかし、腎を補うことは「虚すればその母を補う」と、言う69難の原則から、肝が
実しているので出来ません。
何故なら、生体反応は69難の法則に従います。
上の脈診は69難型の肺虚症です。つまり、肺を補えばこの証は解消できます。

また、福島弘道氏はその著書「経絡治療学言論 下」の中で、75難の六部定位の脈を
以下のように述べています。
「脾の平、肺腎の虚、肝心の実。」
この脈診は肺虚肝実ではなく、腎虚肝実と言う存在不可能な脈になります。したがって、脈診は不完全です。

私の75難型の脈診は、以下の通りです。
左寸心火の脈は実、関肝木は実、尺腎水は実、右寸金肺は虚、関脾土は虚です。

したがって、先ず心を瀉し、後に腎を補うのです。
詳しくは以下のリンクを参照して下さい。
難経75難の解説 何度も言いますが、75難の「肝実肺虚」の症状は、69難型の治療では解消できないので、
「心を瀉し、腎を補う」と、言う特殊な治療法が考案されたのです。
以上の理由から、滑伯仁の「不」の文字を衍文とする解釈は間違っています。
この間違いが、75難の治療法を単なる69難型の治療法に変えてしまい、存在価値ををなくしてしまいました。
そのために、「不」の字を衍文と主張する治療家は、75難の治療法を誰も行うことができません。

この75難型の治療法が、難病を改善できる唯一の治療法に通じている可能性があるのです。


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