「難経」81の難に隠されている謎を探る
明治の文豪夏目漱石は難解な漢文でも100回読めば自然に意味が分かって来ると言っています。
彼のようにはいかないけれど、少し私も努力をしてみようと、以下の文を何度も読み返しました。

「八十一難曰
經に言う。
@実を実し虚を虚す。不足を損(そん)じて有餘)ゆうよ)を益(えき)すこと無(なかれ)。
Aこれ寸口(すんこう)の脈なりや。
B將(はた)病自ら虚実有るや。
Cその損益(そんえき)奈何(いかん)。
然り。
Dこれ病にして寸口の脈を謂うに非ざる也。
E病に自から虚実有るを謂う也。
F仮(たとえば)肝実して肺虚す。肝は木也。肺は金也。金木当に更(こもごも)相平ぐべし。当に金の木を平ぐることを知るべし。
G仮ば肺実して肝虚し微少(びしょう)の気なり.鍼を用てその肝を不補(ほさず)して.反(かえっ)て重(かさね)てその肺を実す.故に実を実し虚を虚し.不足を損(そん)じて有餘(ゆうよ)を益(えき)すと曰(い)う.
Hこれ中工の害(がい)する所也.」

解説
文頭の@は
補瀉の方法を間違えて、実を補い、虚を瀉してはいけないと、警告しています。
この治療方を行うには、脈診かあるいは病の虚実による診断かを尋ねています。
そしてその答えとして、
脈による診断ではなく、病の虚実によるのだと述べています。
次に、何故二つの症例を対比させて記載したのでしょうか。
これは「69難型、75難型」と「81難型」との違いを明らかにしたのです。
つまり、69難型と75難型は脈診で証が立てられるが、81難型は病の虚実で診断せよと、言っているのです。
以上のことから判断すると、この81の難に於いて、重要な点は、病の虚実による肺実肝虚証の治療方法です。
つまり、補瀉の間違いを犯さないようにとの警告です。

病の虚実についての記述を「難経」の中に見ると

「16の難」には、五臓の疾病を判断する方法が述べられています。それによると、
「病の診断法として幾つかの脈診方が有るが、結局病の内外の症状で判別すべきである。」と、述べています。
又、「48の難」は、以下のように述べています。
「人の病には、三虚三実が有り、それは、脈の虚実、病の虚実、そして診断の虚実である。」

「肺実して肝虚し微少の気なり。鍼を用いてその肝を補さずして、反って重ねてその肺を実す。
故に実を実し虚を虚し、不足を損じて有餘を益すと曰う。」
これは脈診で診断した証のもとに治療を行った結果を述べたものです。
即ち、虚した肝を補わずに、実した肺を補ってしまった誤治を述べたものです。
しかし、脈診で正確に証を立てているにもかかわらず、何故間違った刺鍼を行ったのでしょうか。
言い換えれば、脈診どおりに刺鍼したら、結果として間違った鍼を刺してしまったと言う事でしょうか。
「その損益奈何。」と、尋ねて、
「これ中工の害する所也。」と、結論しています。
「難経」の著者は、脈診だけで証を立てる中工は、初めから治療はうまく行かないと断定し、
よく虚実の補瀉を間違うものだと、結論しています。
しかし同時に、間違った治療に対して非難をせずに、中工ではしかたがないとも言っているのです。
本来、誤治は大変な結果を招くに違いないと思いますが、何故ここでは寧ろ励ましているように思えるのでしょうか。
因みに、13の難は以下のように述べています。 上工は十の内九を、中工は八を、下工は六を治す者」と、有ります。
続く
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